三十三体観音像
長和町
当初は、三十三体あったが、その後土砂崩れなどに巻き込まれ、現在では二十九体となっています。
2022.3.7 長野県知事 阿部守一
観光スポットが427件見つかりました
長和町
当初は、三十三体あったが、その後土砂崩れなどに巻き込まれ、現在では二十九体となっています。
長和町
鎌倉時代に造られたもので、県下で在銘のある最古のものとして貴重。仏岩の高い岩の上に立っています。
長和町
江戸相撲の浦風部屋の隠しけいこ場として江戸時代の文化7、8年頃造られた。日本三辻の一つにあげられます。
長和町
明治3年まで、11月から3月には旅人に粥と焚火を、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施行したところです。町民ボランティアの草刈り、ゴミ拾いなどできれいに整備されました。
長和町
鉄平石でつくられた塔は美ヶ原のシンボル的存在。霧が発生すると鐘を鳴らして、登山者の安全を見守ってくれる。犬のリードをつけて散策ください。
長和町
文久元年(1861年)に建てられたが、その後火災等にあい、現在は「居室棟」のみが復元されています。冬期は閉館。
立科町
戦国時代の山城。別名『木の宮城』とも言われ、標高806mの半独立の小山にある。信州の山城の一つとして土塁など当時の遺構がよく残っている。現在では車道が設けられ、多くの見学者が...
立科町
旧中山道添いに150年~300年を経た老赤松が60余本あり目を閉じると遥か昔・往時の中山道を偲ばせてくれます。
立科町
雨境峠は、蓼科山北麓にある標高1,580mの峠である。大和政権が東国支配のため官道の東山道を開いた。東山道以前の道で古代東山道とも言われるこの道は、東西を結ぶ交通路として歴史...
御代田町
物資の輸送業務を行っていました。切妻造りで江戸後期(享和~文化頃)の建物とみられます。建物内部は、個人宅のため、見学はできませんが外からは見学可能です。
御代田町
安川家は江戸時代を通じ小田井宿の本陣を務めました。勅使や大名などが宿泊し、上段の間と呼ばれる部屋が使用されました。内部の見学は個人宅のためできませんが、外からは見学可能です。
軽井沢町
この歌は、碓氷の社家に伝えられていたもので、その消滅を心配して昭和30年に熊野皇大神社が建てたものである。
軽井沢町
分去れの句碑があり、その昔旅人達にとって中山道と北国街道の分岐点の道標であった。
軽井沢町
この遺跡は縄文時代中期から後期のもので、わが国最南端の環状墓地群(ストーンサークル)が発見された。
軽井沢町
佐久三牧(望月・塩野・長倉)の一つで平安朝初期に設定された軽井沢高原一帯を占める広大な官牧です。
軽井沢町
旅人に道程を示す道しるべとなり、憩いの場所として小高い塚を築き、そこにエノキを植えて、一里塚をつくった。
軽井沢町
墓石と同様に死者に対する供養の為の記念碑として室町時代後期に造られたと思われる。
軽井沢町
個性豊かな表情をした地蔵尊(約90体)は、江戸時代後期に作られ、当時の民間信仰の様子を知る重要な資料である。
軽井沢町
室町時代中期の作で、県内では最古のもの。右(雄)は口を開いた阿(あ)、左(雌)は口を閉じた吽(うん)。
軽井沢町
熊野皇大神社境内入口にあり、神社正面の石畳を奉納した記念碑として奉納されたもの。
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