柿蔭山房
下諏訪町
アララギ派の巨匠、島木赤彦の生家。自宅前に樹齢300年を越すという老松が見事な枝を張っています。
2022.3.7 長野県知事 阿部守一
観光スポットが418件見つかりました
下諏訪町
アララギ派の巨匠、島木赤彦の生家。自宅前に樹齢300年を越すという老松が見事な枝を張っています。
下諏訪町
アララギの歌人島木赤彦の墓です。
下諏訪町
下諏訪宿では、五街道のうち甲州道中と中山道の二つの街道が合流しています。碑の奥には、壁面に昔の共同浴場を中心に宿場町の情景を描いた有田焼レリーフもあります。
御代田町
物資の輸送業務を行っていました。切妻造りで江戸後期(享和~文化頃)の建物とみられます。建物内部は、個人宅のため、見学はできませんが外からは見学可能です。
御代田町
安川家は江戸時代を通じ小田井宿の本陣を務めました。勅使や大名などが宿泊し、上段の間と呼ばれる部屋が使用されました。内部の見学は個人宅のためできませんが、外からは見学可能です。
軽井沢町
この歌は、碓氷の社家に伝えられていたもので、その消滅を心配して昭和30年に熊野皇大神社が建てたものである。
軽井沢町
分去れの句碑があり、その昔旅人達にとって中山道と北国街道の分岐点の道標であった。
軽井沢町
この遺跡は縄文時代中期から後期のもので、わが国最南端の環状墓地群(ストーンサークル)が発見された。
軽井沢町
佐久三牧(望月・塩野・長倉)の一つで平安朝初期に設定された軽井沢高原一帯を占める広大な官牧です。
軽井沢町
旅人に道程を示す道しるべとなり、憩いの場所として小高い塚を築き、そこにエノキを植えて、一里塚をつくった。
軽井沢町
墓石と同様に死者に対する供養の為の記念碑として室町時代後期に造られたと思われる。
軽井沢町
個性豊かな表情をした地蔵尊(約90体)は、江戸時代後期に作られ、当時の民間信仰の様子を知る重要な資料である。
軽井沢町
室町時代中期の作で、県内では最古のもの。右(雄)は口を開いた阿(あ)、左(雌)は口を閉じた吽(うん)。
軽井沢町
熊野皇大神社境内入口にあり、神社正面の石畳を奉納した記念碑として奉納されたもの。
軽井沢町
熊野皇大神社境内にあり、土台石一辺60cmの四角、高さ230cm、6段のもの。
軽井沢町
中山道の脇道で女街道の中間点にあり、当時の交通量や道中安全祈願の様子が伺える。
軽井沢町
堀辰雄が好んで散歩したところ。寺の裏手にある半跏思惟の石仏をこよなく愛したといわれる。
軽井沢町
この石の俑人像は、犀星が旧満州国旅行の際に買い求めたもので、下には夫妻の遺品が納められているという。
軽井沢町
ノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴールの生誕120年を記念して建立されました。
軽井沢町
江戸時代に幕府が軍事上の目的で中山道の追分西端あたりを桝形に屈曲させて街道を通じ、付近に茶屋があった。
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