稗田の碑(末川・把の沢・西野)
木曽町
一番始めに建てられた末川の碑は、高冷地である開田高原で苦労の末に水田を開いた「中村彦三郎」を称えて建てられた碑です。その後、1802年には把の沢に、1806年には西野にも碑が...
2022.3.7 長野県知事 阿部守一
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木曽町
一番始めに建てられた末川の碑は、高冷地である開田高原で苦労の末に水田を開いた「中村彦三郎」を称えて建てられた碑です。その後、1802年には把の沢に、1806年には西野にも碑が...
木曽町
木曽義仲が築城の折に水を引く際、勧請(かんじょう)した観音様。木曽の三大馬頭観音の一つで、牛馬の息災を祈念する人たちの厚い信仰をうけ栄敬されてきました。岩華観音がある木曽駒高...
木曽町
その昔、山焼き(若草がよく育つよう、春に枯草を焼くこと)の火が殿様の山まで燃え広がった際、その罪をかぶって打ち首にされた農民「平次郎」を供養するために作られたお地蔵様です。付...
原村
縄文中期~後期の集落遺跡で、竪穴住居が復元されている村指定の史跡です。縄文中期の住居跡6基、後期の敷石住居跡2基、土器、石器等が発掘されました。場所は「中央高原入口」の信号の...
原村
江戸末期~明治初期に建てられた村内の住宅を移築し、井戸や食器棚など昭和30年代前半の農村生活を再現しています。「民俗資料展示室」には養蚕の用具などを展示。集落の人々が共同で使...
東御市
戦国時代を通じて、有事の際の情報連絡要地であったと考えられる。烽火台があったといわれている。
東御市
放し飼いの駒が逃げ出すのを防ぐため、牧場の周囲にめぐらした囲いの跡。土堤跡だけが残る。
東御市
東御市新張から地蔵峠を越え群馬県旧鹿沢温泉までの山道に、一番から百番まで約110mごとに祀られました。
東御市
法隆寺の玉虫厨子を思わせる安山岩の石造建造物、台石に正慶2年(1333年)12月28日とある。
東御市
鎌倉時代建仁年間の作で、ひのき材寄木造り。観音寺収蔵庫内に安置され、拝観は予約が必要。
東御市
明治12年に建てられた和洋折衷様式の校舎内に、郷土、民俗や教育関係資料を展示してあります。
東御市
土間に土俵と2階に棧敷席があるのが特徴で、雷電の衣類、履物、所持品等の一部を展示してあります。
野沢温泉村
野沢温泉の源泉のひとつ。100度近い熱湯が湯煙りをあげています。
野沢温泉村
縄文時代中期の立穴式住居跡が復元されています。
信濃町
信濃町最南端にある霊仙寺山、飯綱山への登山口にあり、かつて修験者たちが、戸隠へ詣った道中にある。山岳信仰の修験所の遺跡で、鎌倉時代にはすでに栄えていた記録が残されています。五...
信濃町
文政10年(1827)の柏原宿の大火で焼け出され、焼け残りの土蔵で一茶は65才の生涯を閉じました。終焉の土蔵が国史跡に指定され史跡内に弟屋敷が復元されている。江戸時代後期に活...
信濃町
野尻湖弁天島にある。上杉謙信の家臣で謀反の疑いをかけられた長尾政景を野尻湖畔に招いて、政景に組みつき、共に水中に没したと伝えられる。
信濃町
「心の遠きところ花静かなる田園あり」と彼の筆跡を刻んだ碑がある。
信濃町
上杉謙信の家臣。謀反の疑いをかけられ、宇佐美定行によって野尻湖で殺害されたと伝えられている。
信濃町
木曽義仲が松の木の下で馬から下りて休んでいると馬が道の傍の大きな石にのり、その蹄の跡がついたことから。
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