エリアガイド湯田中渋温泉郷
限られた土地に所狭しと宿が立ち並んでいます。
少しレトロな雰囲気がある温泉街には、浴衣姿と湯下駄で外湯巡りをする人でにぎわいます。
小林一茶も愛した長命長寿の湯
スキーの一大リゾート地・志賀高原の入口にある「湯田中渋温泉郷」は、夜間瀬川、角間川、横湯川沿いに広がる9つの温泉街からなります。
そのなかのひとつ「湯田中温泉」は、湯田中・新湯田中・星川・穂波・安代と5つの温泉を総称したもので、田んぼから湯がこんこんと湧き出たことから湯田中という名が付きました。温泉の歴史は古く、今から1350年以上前に僧智由が湯を発見し、長命長寿を意味する養遐齢(ようかいれい)と名付けたのが始まりです。塩化物泉の湯は無色透明でやわらかく、きりきずや冷え性、筋肉のこわばりなどに良いといわれています。また、温泉街には地元の人たちが管理している外湯があり、宿泊客も利用することができます。
俳人・小林一茶はこの地を愛した一人です。老舗旅館「湯田中湯本」と俳諧を通じて親交が深め、何度も訪れました。そういった歴史から現在では温泉街のいたるところに一茶の句碑があり、「平和の丘公園」内の遊歩道「一茶の散歩道」沿いには顕彰のために建立された「一茶堂」があります。五七五の17音に込められた俳句の世界を読み歩いて楽しみましょう。
旧湯田中駅舎を活用した「楓の館」。日帰り温泉施設「楓の湯」も隣接しています
「一茶の散歩道」に建てられた句碑を読み歩く旅もおすすめ
湯の郷にある「しあわせ三体めぐり」
にぎわいのある温泉街を抜けた先、「平和の丘公園」にある高さ25mの「平和観音像」もこの地のシンボルのひとつです。
昭和のはじめ、国の不景気によって客足が遠のくようになったことを機に万人講を作って平和を祈願した像の建設を計画。一人1円の寄付を募ったところ、約3万円(現在の金額価値にすると約3億円)が集まり、1938(昭和13)年に初代平和観音像(正式名は護国観音)が完成しました。しかし、その翌年から第一次世界大戦が勃発、日中戦争や太平洋戦争も続いて物資が不足。金属類回収令によって観音像は供出させられてしまいました。台座だけが残されたまま時が過ぎていきましたが、復活への動きが加速。昭和39年、約5万人からの寄付によって現在の平和観音像が建立されました。
隣接する「大悲殿」には建立に関する資料が展示され、さらには台座内にも入ることができます。内部には西国三十三番札所に祀られている観音の写し本尊がぐるりと並んでいます。
公園には地震除けと願う「弥勒石仏」、禁煙の願掛けを願う「煙草地蔵」もあります。「三体しあわせめぐり」で、平和で災いのない、健康的な暮らしを願いましょう。
石畳の温泉街を浴衣姿で外湯めぐり
湯田中温泉の隣にあるのが、1300年前に全国行脚をしていた僧・行基が湯を発見したといわれる「渋温泉」です。戦国時代には武田信玄の隠し湯として傷ついた兵を癒し、温泉街の一角にある「横湯山温泉寺」は信玄の寄進によって開基。その後は善光寺と草津を結んだ旧草津街道の宿場、昭和のはじめは湯治場などさまざまな歴史を辿ってきました。
源泉のメインは約4km離れた地獄谷から鉄分の多い湯を引湯しています。ほかにも川岸から湧き出していて、すべての源泉を合わせると100本以上あるといわれています。宿によって引いている源泉が異なるので、好みの湯がある宿を探してみるのも良いでしょう。
温泉街は、石畳に舗装された通り沿いに所狭しと宿泊施設が立ち並んでいます。その多くは大正から昭和にかけて建てられた木造建築で、増改築をくり返しながら独特の味がある佇まいに。冬になるといたるところから湯けむりが上がって、温泉場ならではの光景が広がります。
スノーモンキー、志賀高原、降れば中野や飯山にも近い
湯田中温泉と同様に、渋温泉も宿泊客が利用できる9つの外湯があります。各宿で販売している巡浴手拭いを購入すれば、「九湯巡り」を楽しむことができます。すべて印綬すると、苦(九)労を流してご利益を授かるといわれています。さらなるご利益を求めるなら、「ご利益街道」を歩いて参拝しましょう。ほかにも九湯ならぬ「九糖めぐり」もあり、温泉街のお土産屋を巡りながら、お菓子専用の「いとをかし箱」にお菓子を詰め歩くのも楽しいひとときになります。
近隣の観光スポットといえば、スノーモンキーで知られる「地獄谷野猿公苑」が有名です。一年を通してニホンザルの生態を間近で観察できる貴重な場所です。ほかにも夏は登山にトレッキング、冬はスキーにスノーボードと四季折々のアウトドア・アクティビティが楽しめる志賀高原エリアなど、何度でも訪れたくなる魅力が満載です。