松代_人と出会う【人がつくるすてきなまち】
美しいまちには、アツくてすてきな人がいます。
佐久間象山を生んだ土地で育つクリエイティビティ
若林啓さん
何より大切なのは人とのつながり。『松代町』には、それが脈々と受け継がれている
〈情報コンサルタント〉を称する、松代町出身の若きクリエイター。クライアントから、ウェブ制作などの要望を聞き、必要・不必要な要素を精査し形にするのが仕事だ。若林さんのモットーは“お客さんの心臓部に触る”。IT化が進む中でも、人と人とのやり取りを何より大切にしている。
「デジタルとアナログって対立軸で捉えがちですが、デジタルの世界も人と人との付き合いで、何かが生まれることには変わりないと思います。ウェブ制作一つにとっても、お客さんが何を求めてるのか、コミュニケーションをしっかりとって、本質的な部分を共有することで、良いものが出来上がる。自分は“デジタルとアナログのハイブリッド”の実現が仕事だと思ってます。人とのつながりに重きを置くのは〈情報コンサルタント〉以前に、さまざまな業種の営業職を経験したので、その影響は大きいかもしれません。精一杯の誠意を見せれば、想いは呼応するんだと実感することが多かったですね。いまでもクライアントと話をして必要であれば、自分で動画を撮影したり補助金の申請書を書いたりもしますよ」
「人の想いをビジネスに消化すればいいし、人とのつながりがあればどこでも仕事はできる」と言う若林さん。地方に感じる可能性を、コロナ禍より強く感じている。柔軟で、まさにクリエイティブな思考は『松代町』が基盤となっているようだ。
「僕の名前の“啓”は、佐久間象山の実名から取ったと祖母から聞きました。佐久間象山って、めちゃくちゃクリエイティブじゃないですか。その生まれ変わりとまではいかなくとも、そのDNAは受け継がれているんじゃないかな。ニューノーマルな時代に突入して、会社の肩書きに頼ることなく、人とのつながりがあれば仕事はどこでもできるようになった。それに、地方の方が人と人との結び付きが強いですよね。縁を結びやすい地方での暮らしは、柔軟に考えれば、ハードルの高いものでもない。だったら自然豊かで歴史的な町並みの中に身を置くのもいいんじゃないかな、と。僕自身、『松代町』の季節感から、かなりインスパイアされていますし」
『松代町』の底力を見た出来事
2019年、大きな被害をもたらした台風19号。人同士のつながりが持つ力強さを、改めて感じたという。
「14年前に弟が亡くなって『松代町』に戻ってきました。地域の役をとりあえず一周して、地元の人とつながりができて。やってみたい事があればやらせてもらってます。2019年の台風19号で『松代町』も大きな被害を受けました。大変な状況の中で、やっぱり人とのつながりって大切だと感じたんですよね。災害の対策本部がすぐに立ち上がって、安否確認をして、浸水で屋内に溜まった泥をかき出して……日頃コミュニケーションが取れていると、これほどまでに一帯となれるんだと驚きました。翌年1月には、少しでも地元を元気づけようと、公民館と育成会主催で餅つき大会を開催。100人以上の地元住民が来場してくれました。バイタルチェックのブースを設けたのですが、ご高齢の方の心拍数や血圧の数字は良好。やっぱり、交流の場だとか人と触れ合うことの大切さを、身に染みて感じましたね」
クリエイティブな思考のもとに、大切にしている人とのつながり。本当に佐久間象山の生まれ変わりなのかも……と思うほどに『松代町』のDNAを強く感じたのであった。
PROFILE
若林啓さん
松代町出身。食品商社、外資系の保険会社などの営業職を経て、情報コンサルタントとして独立。県内外の事業者や行政を顧客とする。14年前に地元へ戻り、公民館や育成会など地域の役職に就き活躍。
☞《エムズアット》
改革を進める老舗酒店の5代目
坂口厚子さん
“街の酒屋”の強みを活かして
1894年、前身の材木・油の卸売店から酒店に転換。老舗の5代目である坂口さん。女性が審査する国際的なワインコンペティション〈サクラアワード〉の審査員を務め、ワインソムリエとオリーブオイルソムリエの資格を持つ。いまも新しい資格取得のため勉強中。挑戦を続ける坂口さんの原動力は?
「スーパーと同じ品揃えでなく、個性を出せるのが“街の酒屋”の強み。まだ流通が広がっていない商品を取扱い、少しずつ浸透させていく。これが可能だと思います。商品の良さを十分に伝えるためには、自分の知識がないと始まらないので。日々勉強です。最近は、長野ドイツワイン協会の運営にも携わるようになりました。縁あって、久しぶりに飲んだドイツ産の辛口ワインがおいしくて!このワインをたくさんの人に飲んでほしいと思って、協会を立ち上げました。ドイツと長野は似ているんですよ。地味なんだけど、文化的な側面を持っていて。独特な気質に親近感が湧くんですよね」
“存続”するための“改革”
「コロナをきっかけに“改革”が必要だと強く思うようになりました。新しい商品を開拓しようと勉強を重ねましたし、情報発信に力を入れるようになりましたね。『松代町』は観光地としての見どころはあっても、外へのPRが弱いのではないかと思います。歩いて楽しいところなので、まずはお店のことをアピールして、その姿勢が成果につながることを証明したいですね」
若くして亡くなった父親に代わり、店を切り盛りした母の姿を見ていた厚子さん。親子で衝突は無かったのだろうか。率直に聞いてみた。
「まさに肝っ玉母ちゃんですよ。親子というより“同士”ですね。お店の方針だったり展望だったり、意見がぶつかることもありますが、母の言うことを理解しているつもりです。母の代では、頻繁にお茶のみ会が開かれていたようです。私の代になってお茶のみ会に加えて、ワイン会も開くようになりました。この店は交流の場でもあります。そこを大切にしながら、この場所から新たな『松代町』の顔を外にも周知していきたいです。それが『松代町』の存続につながると思うので」
取材中も、地元の人や常連さんが店を訪れ、笑顔で帰っていく。地域に憩いの場を提供する人が、革新的な考え方を持ち発信しようという、その頼もしさを見た。
PROFILE
坂口厚子さん
松代町出身。老舗酒店《地酒とワイン 坂口酒店》の5代目。〈サクラアワード〉の審査員を務める。現在は〈長野ドイツワイン協会〉の事務局も務める。珍しいワインの他、オリーブオイルや加工品なども販売。SNSでの発信に力を入れる。
☞《地酒とワイン 坂口酒店》Instagram
『松代町』に呼ばれた人は『松代町』に人を呼ぶ
山本薫さん
『松代町』に魅せられて……
築125年の古民家でゲストハウスを営む。長野市出身の山本さん。十数年前まで『松代町』の印象は「失礼ながら……辺地と思ってました」。その山本さんが、今では“松代の良さを知ってほしい”と毎日奮闘している。心境の変化の理由を聞いた。
「建築士設計事務所に勤めていたころ、松代地区街なみ環境整備事業の調査で、9か月間『松代町』に通いました。江戸時代の歴史ある建造物が現存するのをこの目で見て。『松代町』には、250年も真田家の本家があったことや、江戸時代には信濃の国随一の藩で、政治の中枢だったことを知り、衝撃を受けました。辺地だと思っていた『松代町』は、すごいところだったのです。それに、整備が進んで、もっと魅力的になる確信がありました。2010年、子育てがひと段落したタイミングもありましたし動かずにはいられないと〈松代イヤー実行委員〉に応募。活動する中で、地元の人の地域を盛り上げようとするボランティア精神や、おもてなしの心に触れました。建物から興味を持ったこの町に、深く入り込んでいくようになったのは、“住んでいる人の温かさ”を感じたから。町もいいし、人もいいじゃん!と思いましたね」
町並みをきっかけに、地元の人との関わり合いを通じて『松代町』の良さを実感した山本さん。もっと多くの人に知ってほしいと、ゲストハウスの開業を決意した。
「松代イヤーの後、3年かけて物件を探し、現在の建物に決めました。ここは、1896年に製糸会社「六文銭」の副社長の小林忠治郎の自邸として建造。主屋や離れ、土蔵があります。地元ボランティアの方々にお手伝いいただきながら、掃除をして改修をして。2015年4月にようやくオープン。小林家の屋号〈布袋屋〉は、ゲストハウスの名前として受け継ぎました。人の集う場所として、地域の役に立っているのであれば嬉しいですね」
『松代町』の財産を残したい
伝統文化や町並み、地域のお祭りの継承は人口減少が進む昨今、いや応なしに課題として挙がる。『松代町』も例外ではない。
「地元の人には、伝統文化を“守らなければならない”という認識はなく、当たり前に継承していてすごく良いなと思います。ただ、人口減少に伴なって、当たり前が成り立たなくなっていることに寂しさを感じてもいて……。須坂と松代を結ぶ〈屋代線〉は、長野線より先に線路が引かれていたのをご存知ですか?もともとは、生糸の運搬のために使われていたんですよ。物も人も乗らなくなって廃線になってしまったけれど……今もある〈松代駅舎〉は、明治から昭和にかけての松代を象徴するもの。“守る”というよりは、後世へ“財産”として、残してほしいと願っています」
山本さん自身も伝統文化を“財産”として残すため、奮闘中だとか。
「土蔵の2階を織り工房にしようと準備中なんです。NHKの大河ドラマ〈真田丸〉をきっかけに〈真田紐〉や〈松代紬〉を普及させ、伝統文化の復活につなげたいと、織り体験を受け入れたり作品をお土産として販売しています。ゆくゆくは、養蚕から織りまで一貫して松代で出来るようにしたいなと思っています」
「よそ者はよそ者ですよ」という山本さん。しかし、自分が感じた“『松代町』の良さ”を残したいという熱い思いは、よそ者のそれではない。『松代町』が引き寄せた、これからの『松代町』を引っ張っていく人だ。
PROFILE
山本薫さん
長野市出身。勤務先の建築設計事務所で松代地区街なみ環境整備事業に携わったことを契機に2010年〈松代イヤー実行委員〉に応募。地元の人の温かさに惚れ、『松代町』の魅力を発信すべく《松代ゲストハウス布袋屋》を2015年にオープン。伝統文化の継承の他、無農薬野菜の栽培にも注力している。
☞《松代ゲストハウス布袋屋》
町を描くアーティスト
鶴田智也さん
根底にあるのは『松代町』での記憶と風景
絵画・イラスト・オブジェの制作を手掛ける、『松代町』出身のアーティスト〈TOMOYAARTS〉こと、鶴田智也さん。全国各地で個展を開催したり、老人ホームや保育園でライブペイントをしたり、レンタル絵画サービスを始めたりと、活動は多岐にわたる。創作の根底にあるのは、いつだって『松代町』での暮らしと思い出だ。
「東京で活動していた時期でも、着想を受けていたのは『松代町』で過ごした時間や風景。子供の頃から空想するのが好きで、町並みの中にいろんなものを描いていました。『松代町』は“光と影”のコントラストがあって。物陰から何か出てくるんじゃないかとか、山って怖いなとか、暗い部分を感じられるんです。それってすごく大切なことだと思ってて。自分の子供にも、昔ながらの風景の中で心を育んでほしいと思い、地元に戻ってきました。今は子供と一緒に学校まで歩いて、見送った後は畑で作業をして、その一角に造ったアトリエ小屋で絵を描くのがルーティン。すごくいいリズムがつくられていますね」
コロナ禍、アーティスト活動にも変化があったとか。
「自分の世界に没頭して描くのも素晴らしいとは思いますが、自分はいわゆる一般的にイメージするアーティストとは違うかな。“絵はコミュニケーションツール”だと思ってます。この考えは、ずっと持っていたのですが、コロナで確信的になりましたね。絵画の個展を中心に活動してきましたが、その機会は格段と減った。作品は見てもらってなんぼだなと。コロナ禍でも作品を体感してもらいたいと思い、絵画レンタルサービスを始めました。利用者から“癒される”と言ってもらえた時は嬉しかったですね。コミュニケーションツールの新しい形を模索するのと並行して、自分の生活を見直しました。畑の一角にアトリエ小屋をつくったのもコロナがきっかけ。他にも、オンラインクラスをしたりSNSで発信したりと、できることをしていました。創作の時とは違う頭の使い方をするので、自分の頭の中の“ギア”を変えていたのですが、思っている以上に脳に負担がかかるので、自然の中で休むことが必要。実際に動植物を見て絵が描けるので勉強にもなるし、地元に戻ってきて良かったなと実感しましたね」
アーティストの視点で見る『松代町』の現状。そして未来
創作活動の根底にある『松代町』の風景を子供たちに残したい―と、アーティストの視点で町を見つめ、思うことがある。鶴田さんへの取材を行った〈松代駅舎〉についても。
「絵を描くのが自分の柱ではあるけど、町づくりに興味があって。ここ(松代駅舎)は、すごく良い雰囲気ですよね。実は、周辺道路を拡張するから取り壊すなんて話が出てて。ここは、地元の学校に通う子供たちの通学路であり〈松代駅舎〉は憩いの場です。道路を広げて、子供たちの安全が担保されるのか心配です。それに『松代町』のことを考えたら、残した方がいいんじゃないかと自分は思っています。歴史の積み重ねがあって、昔の町並みが残っているのが『松代町』のオリジナリティ。それに、駅舎から城跡が望める環境は、全国的にも珍しいので、取り壊してしまうと観光資源の損出にもなる。道路を拡張するために〈松代駅舎〉を壊すのではなく、“どういう町にしたいか”というイメージから、施策を考える。それが必要だと思いますね。部分的に捉えるのではなくて」
鶴田さんの頭の中には『松代町』の未来が描かれている。アーティストの視点から『松代町』を見て、絵を“コミュニケーションツール”として、町づくりに取り組む。
「〈松代駅舎〉を舞台として絵本を制作中。『松代町』に偉人や自分の大切な人が帰ってくる物語で、偉人たちは廃線となった〈屋代線〉に乗って〈松代駅舎〉に下車して……。この物語も実体験がベースとなっていて。大好きだった祖母を〈松代駅舎〉で開催していた盆踊りに誘ったこととか。町の人の記憶とか思い出とかを表現して、この町の歴史でもあるオリジナリティや自分にとって大切な場所であることが伝わればなと思いますね」
PROFILE
鶴田智也さん
松代町出身。東京の専門学校を卒業後、結婚を機に長野へ戻り、2016年に松代町へ転居。個展を中心に活動していたが、コロナ禍にレンタル絵画サービス〈巡り絵〉を開始。地元の畑の一角に建てたアトリエ小屋で制作活動に取り組む。
☞《tomoyaart》Instagram
明るさの中に暗さを感じることと、暗さの中に明るさを感じることは同義だと思う。ただ明るいだけじゃない、芯を持ったピュアな人達は『松代町』そのものだ。この人たちに会いに、何度でもこの町を訪れるだろう。
明るさと暗さが共存する薄暮。それを演出する太陽に『松代町』の今と未来、出会った人々を重ねて帰路についた。
取材・文:松尾奈々子 撮影:佐藤ピエール