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木曽谷に生きる現役の近代化遺産
読書発電所施設に産業の美をみる

大正時代、木曽川の激流に着目して7つの発電所を建設し「電力王」と呼ばれた実業家がいました。彼の築いたひとつが「読書(よみかき)発電所」。今なお稼働する水力発電設備として初めて国の重要文化財に指定され、100年の歴史を誇ります。

更新日:2021/11/05

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top photo ©︎南木曽町教育委員会
※読書発電所の見学はおこなっておりませんので、あらかじめご了承ください


日本一の出力を誇った発電所

幕末から第二次世界大戦前にかけて日本の近代化に貢献した建造物は、国の重要文化財のなかでも「近代化遺産」と定義されています。たとえばダムや運河、駅舎、橋梁、製鉄所や製糸場、造船所などが各地で保護・活用され、歴史を伝えています。
長野県の南木曽町にある「読書(よみかき)発電所」もそのひとつ。1923(大正12)年に最新鋭の技術を投じて完成し、当時日本一の出力40.700kwを誇った水路式発電所の金字塔といえる存在です。竣工から100年近くたつ現在も、関西電力の管轄下で稼働中。国の重要文化財指定を受けた現役の発電所でもあります。

発電所本館、上部の水槽、水圧鉄管が近代化遺産に指定されています
©︎南木曽町教育委員会

日本で電気が一般に使われ始めたのは明治20年代。急激に成長する近代産業を支えるため、主流だった火力発電所よりも発電能力が大きい水力発電所の建設が急務となりました。そこで木曽川に目をつけたのが福沢桃介。福沢諭吉の婿養子で、のちに「電力王」の異名をとった実業家です。
桃介は自ら中央アルプスや御嶽山の奥深くまで調査に出向き、「水量が豊富で落差の大きい木曽川こそ水力発電の適地」と考えました。「一水系の開発、帰属を一社に委ね総合的な水力開発に資する」という「一河川一会社主義」を唱えた彼は、大同電力(のちの関西電力)の社長についてから次々と木曽川に発電所建設を進め、10年間で7ヵ所を築きます。読書発電所と同年には最長239kmもの長距離送電線も完成させ、電力が不足していた関西地方への送電も実現。日本の近代化と発展に大きく貢献したのです。

水圧鉄管は当時のものを使用。水槽の正面と側面に建設時のデザインが残っています
©︎南木曽町教育委員会

木曽谷を変えた一大事業

1921(大正10)年に着工した読書発電所の建設工事は2年に及び、延べ175万人の人工(にんく)、当時の金額で1797万円が投じられた一大事業となりました。発電機や水車は海外から最新の製品を取り寄せ、請負者の指導とともに直営技術員の育成訓練のために、アメリカ人技師が招かれました。発電所本館は半円形の窓や屋上に突き出た明かり窓、外壁上部の装飾などアール・デコ調のデザインが特徴的。福沢桃介が大同電力に招いた建築家の佐藤四郎の設計により木曽川と調和する美観を重んじられるものとなりました。外から見ても楽しめる佇まいは今も引き継がれています。

半円形の窓やレリーフのような装飾が木曽谷の自然に映える発電所本館
©︎南木曽町教育委員会

のどかな木曽谷に現れた凄腕の実業家・桃介と彼の事業は、集落に大きな変化をもたらします。大勢の労働者家族が移り住み、村は活気にあふれました。大同電力の出張所や銀行、玉突場やマージャン屋などの娯楽施設もでき、料理屋からは夜ごと三味線の音が聞こえたそう。村の児童数は200人以上増え、大同電力が寄附金を出して校舎の増改築が行われました。
いっぽうで、大同電力と地元の間で水利権をめぐる激しい対立が起きたのも事実。水利権が企業に渡ると木曽川で数百年の歴史を持つ木材輸送「川狩り」ができなくなること、川がダムで堰き止められれば魚が遡上せず漁業に影響が及ぶことなどを訴え、住人側代表として交渉に当たったのが島崎藤村の兄・島崎広助でした。彼は流域の各役場に一致団結を呼びかけましたが、かないませんでした。しかし、住民の要望は、森林鉄道の軌道敷設による木材運搬、取水えん堤に魚道設置などで代替えされることとなりました。

村の交通を大きく変えた資材運搬用の「桃介橋」。今も暮らしを支えています
©︎南木曽町教育委員会

今も木曽谷に残る桃介の足跡

当時、川を渡る交通手段といえば渡し。そこに革命を起こしたのが、建設資材の運搬路として建設され、のちに村の生活道路となった「桃介橋」(国指定重要文化財・土木学会田中賞受賞)でした。「美しく見えるように」という桃介の意向で川幅がもっとも広い場所にかけられた橋の長さは247m。木製補剛トラスを持った吊り橋としては現在も国内最大級、最古のものです。1993(平成5)年完成の整備事業で復元され、現在も町道として活躍。建設当時のトロッコ用レールの痕跡も見ることができます。
橋の近くには桃介が木曽の拠点とした別荘が残され、現在は記念館として公開されています。桃介は公私ともにパートナーであった日本最初の女優・川上貞奴をともなってしばしば別荘を訪れ、ここから建設現場に足を運びました。政財界の実力者や外国人技師を招いては、盛大なパーティーを開いたといわれています。

建設現場近くの眺めのいい場所にある桃介の別荘。現在は記念館として公開
©︎南木曽町教育委員会

今も現役の読書発電所。1960(昭和35年)に4号機が増設され、新設した読書ダムからの取水となり、長さ約8kmの導水路で導いて水槽に貯め、有効落差112mを得る「ダム水路式発電所」です。
導水路のうち柿其川(かきぞれがわ)を渡る鉄筋コンクリート造の「柿其水路橋」は、発電所と同じ1923(大正12)年の完成。全長142.4m、幅6.8mと現存する戦前の水路橋のなかでは最大級で、国の重要文化財に指定されています。中央部は美しくダイナミックな二連アーチ橋。経年変化した質感が、長年発電を支え続けてきたことを物語ります。

木曽谷の美しい自然のなかで100年の時を重ね、産業や暮らしを支えている読書発電所。今も現役で活躍する悠然たる佇まいを、ぜひ見に訪れてください。

柿其水路橋。上部を水路が走り、発電しているときは水が流れています
©︎南木曽町教育委員会

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